「なるはや」が死語となったと言われて割と久しいが、少なくとも僕の観測範囲じゃ全く廃れちゃいない。
「ケツカッチン」やら「しもしも~」なんて言葉は流石に死語だ。
しかしながら「なるはや」については
他の仕事を置いといても、この仕事今日明日で終わらせとけよお前!!!
というクソで煮詰めたキッツい言葉として未だに僕の職場に鎮座している。
貴方が「なるはや。」といって無駄にした今日は、僕がサボりたかった明日なんだ…
「なるはや」は仕方がない時もある
仕事をしていてイレギュラーな事案にぶち当たる事は多い。
というか仕事の大半なんて大小のイレギュラー処理といっても過言じゃない。
時には急な対応を要し「なるはや」をお願いしなくてはいけない場面もある。
そしてそういう不測の事態を少しでも減らすべく私たちは仕事を分担しサボ…バッファを持って働いている。
バッファを使い切りそれでもどうしようもない事態の時、最後の手段の一つとして「なるはや」は活用されるべきものだ。
「なるはや」は自分のタスク管理の甘さを人に押し付ける申し訳ないものであって決して安易なノリで使っていい言葉ではない。そう思っている。
「なるはや」を言う人間は固定化する
なるはやに対する不快感を抱いた時を思い出していると、大体同じ人が頭に浮かぶ。
「これいつまでに?」
「なるはや!」
「明日まででもよろしいですか?」
「出来れば今日!」
「本当に今日じゃなきゃダメなのか?(承知しました。)」
この人いつも「なるはや!」って言ってんな。
人に仕事を急がせたいという気持ちはぶっちゃけ凄く分かる。
例えそれが急ぎの仕事ではないとしても、人の仕事が自分の仕事のボトルネックになるというのは何となく心にひっかかりを生む。
しかし相手にも同じように仕事があり事情がある。
そんな事は皆百も承知のはずなのにこの「なるはや」を多用する人、ナルハヤさんは何故生まれてしまうのだろうか?
「なるはや」使用者が同じ人に偏る理由
そうは言ったって急にクライアントから頼まれたら仕方ないだろ!と考える人もいる。
弊社のナルハヤさんもそんな感じだ。
はたして本当にそうだろうか。
同じ部署の同じような仕事をしている人達は殆どの場合「なるはや」を使わない。
急な依頼も断れるものは断っている。それは例え大きいクライアントだとしても。
ナルハヤさんはこれを引き受けてしまう。一度だけ!もう担当者も忘れません!と言いながら。
そして歴史は繰り返す。
一度依頼を引き受けてしまった時点で、相手側の線引きは間違いなく広がってしまっているからだ。結果雪だるま式にイレギュラー対応は増えて行く。
甘やかすとわがままになるのは子どもだけじゃない。大人も然り。
そしてその大人達が集まって出来ている企業だってこれまた然り。
「なるはや」を使うのは後一回だけ
「なるはや」は正直これまで僕も使ってきた。申し訳なさ、押しつけがましさを軽減してくれる使いやすい言葉だ。
「なるはや」を嫌いな人はネットを見ても実は結構いる。
「なるはや」を依頼されて少なくとも良い気分にはならない。
そして「なるはや」はその言葉を使わざるを得ないとき、自分の仕事に何かしらの綻びが出ているサインとなる。
なので僕は最後に後一回だけ、どこかでこの便利で厄介な言葉を使う。
その後に一度自分の仕事を見つめ直しもう使う事の無いようにしたい。
なるはやで。
会社の愚痴シリーズ